前回は、1981年11月号に初掲載した「スキャットDRAGレース」を紹介しました。今回はその翌年、1982年に本格的にスタートしたスキャットDRAGレースに、OPT零代目編集長・Dai稲田が自身のフェアレディ130Z(連載企画中のHKSチューン)を持ち込み、FISCO(富士スピードウェイ。現在はFSWと略す)のストレートに挑みました。のはいいのですが……ハイ、やらかしていますね!
OPT誌には、賛否両論の読者投稿「ゴマメ模様」という名物コーナーがありました。
事故っちゃった我がマシンを写真に撮り投稿、「落ち込んだってしょうがない、悔しさは笑って吹き飛ばし次へ進もう…」というコーナーでした(私も2回ほど掲載されました)。近代OPTでは一時期ゴマメコーナーは消滅していましたが、2017年12月号より「ゴマメ図鑑」として誌面復活しました。まぁ、この「FISCOストレートDaiクラッシュ」はゴマメのはしり、ですかね(汗)。
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スキャットDRAGレース 1982年 第1戦
我がマシン、傷つき、未だ標的は遠い
【レース前日深夜】
HKSでゼロヨン用に、中間加速重視のセッティングに変更。ターボユニットも小型に換え、ソレックスキャブ仕様インテークからノーマルのスロットルチャンバーに戻してある。が、絶対的パワーに確信がない。あとはギヤ比やボディを改造する手段しか残されていない。
「やるところは全部やったよ。12秒なんかじゃダメ、11秒を切らないとね」。ラジオでは「全域雨の模様・・・」と伝えている。が、これも「未完成交響曲」のホンの序曲にすぎなかった。
【恐怖のスピン!】
クリスマスツリー(DRAGのシグナル)を凝視しながら、ソロソロとマシンを前進させる。3000rpmほどでブリッピングさせながら、ライバルを待つ。黄色の点滅が始まった。エンジンが6000rpmで吠える。
スタートだ!雨天用のP7がややスピンする。そのまま1速で7000rpmまで引っ張り、2速へ。タコメーターの針が4000rpmへダウン。が、一瞬のターボラグ後、フル加速する。ライバル、シェルビー・コブラ350の姿は視野に入らない。3速、4速へのシフトアップも、クロスミッションのおかげで5000rpm以上でつながった。ゴールラインが分からない。4速6800rpmまで引っ張って、やっとゴールを通過していることに気がついたのだ。アクセルを慎重に戻す。
その瞬間、テールが大きく右に振られた! すかさずハンドルを修正しながらアクセルを吹かす。マシンの姿勢が戻った……と思ったのも束の間、再びアクセルを絞った時、スピン状態に陥った。スピードはまだ120km/h以上出ている。マシンは左側のダートへ1回転しながら突っ走る。
「あー、クラッシュか!?」
絶叫していたかどうかは定かでない。左側のコンクリート壁が魔物のように迫る。マシンが後ろ向きになった瞬間、ハンドルを直進状態に戻し、斜めにしながら、リヤから激突するようにコントロールするのが精一杯だった。「グシャッ!」と鈍いショックがくるまでの数秒が、長く感じられた。タイムは15秒45。
恐ろしい、雨中のゼロヨン・・・ある教訓を思い出した。MレーシングのMr.光田氏から「今日は雨だから、ゴール直後に気ィつけてな」と言われていたのである。うかつだった。その意味をよく理解していなかった。
腕の悪さもあるだろうが、直線だけのゼロヨンをナメていたのかもしれない。タイヤのエア圧をみると、右2.3kg/cm2、左1.6kg/cm2だった。軽量化による後部荷重の不足も原因のひとつだ。ウエット路は、ゼロヨンにとってもバニシングポイントになる可能性があるのだ。
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Daiさん、やっちゃいましたね。で、クラッシュはしてもクルマにさほどダメージが無かっただけに、止せばいいのに2本目、そしてDRAGスリックに履き換えて3本目のスタートまでしています。ま、タイムもアップしていないので、今回はこのクラッシュ1本の紹介で終わらせておきましょう。
周回するサーキット走行会は雨でも開催しますが、DRAGは降っていなくても弱ウェットでも厳禁でしょ(汗)。
さて次回はこの日、参加していた1982年DRAG実力派チューナーのマシンたちを紹介します。
[OPTION 1982年6月号より]
(Play Back The OPTION by 永光やすの)
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